【九州三国志】島津家:佐賀攻めに出陣☆

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おはこんばんにちは!うたまるGTです(´-`*)

少しでも動画の方を見ていただけたらなと思い、当サイトのメニューバーにYouTubeのチャンネル項目を設けたので良かったらご覧ください(*´з`)

合わせて気分転換にブログのデザインも変えてみました。

これはまた変えるかも。

文字が見えなくなった箇所があったので戻しました。

Refight:Burning Engine動画UPしたので、良かったらご覧ください☆

それでは信オン。

昨日は、【九州三国志】《佐賀攻め》に行ってきました。

徒党構成はいつもの、

◆武士うたまる《武士道》

◆暗殺うたまる《暗殺忍者》

◆珍砲うたまる《鉄砲鍛冶》

◇坊主丸儲け ( 密教 )家臣

◇かぶきんぐ ( 能楽 )家臣

◇無珍げーる ( 医術 )家臣

◇暴力反対  (刀鍛冶)家臣

佐賀攻め-さがぜめ-】

恐らく今山の戦い(いまやまのたたかい)の事ではないかと思う。元亀元年(1570年)4月から始まった豊後の戦国大名・大友宗麟軍と肥前の戦国大名・龍造寺隆信軍との戦い。
宗麟の弟である大友親貞を総大将とし、佐嘉城の北に位置する今山に布陣した。
8月20日をもって佐嘉城に総攻撃を開始することを決定するが、総攻撃の前日の夜、親貞は今山の本陣で勝利の前祝いとして酒宴を開き、軍の士気を緩めてしまう。
この動きを間者から入手した佐嘉城の鍋島信生(のちの直茂)は、今山の敵本陣への夜襲を進言し、成松信勝が親貞を討ち取り見事奇襲に成功した。
違っていたらすんまそん(‘_’)
(wikipediaより引用)

佐賀城もカッコマンな島津家久が先導してくれます。

ついてきたのことをボヤいてますが「本当は嬉しいんだろ(ニギッ)!」と金〇玉を握ってやりました。

嘘です。

サクッとはいきませんでしたが、『佐賀攻め・壱』~『佐賀攻め・伍』を攻略。

大村 純忠-おおむら すみただ

大村 純忠(おおむら すみただ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての大名。
三城城主。大村氏の第18代当主。
永禄6年(1563年)に日本初のキリシタン大名となり、長崎港を開港した人物として知られる。同じくキリシタン大名の有馬晴信は甥にあたる。(wikipediaより引用)

赤星 統家-あかほし むねいえ

赤星 統家(あかほし むねいえ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将
享禄3年(1530年)、赤星親家の子として誕生。父・親家と近隣の強大勢力である大友義統から1字ずつ取って統家と名乗る。
父・親家の死後、隈府城主となる。龍造寺隆信が肥後に侵攻すると、2人の子を人質に出して降伏した。しかし、龍造寺氏からの参陣要請を幾度も無視したため「疑心あり」と見なされ、天正11年(1583年)には差し出していた人質がとうとう処刑された。
これを大いに恨んだ統家は、反龍造寺の旗色を鮮明にして、島津氏の幕下に入り、翌天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは先鋒を務めた。島津家久の陣に赤装束に縄襷(なわだすき)という出で立ちで、50人の兵と共に参加している。
しかし、以後も島津氏と共に行動したことが原因で、豊臣秀吉の九州平定の後に所領を没収され、最後は阿波国で死去した。(wikipediaより引用)

龍造寺 信周-りゅうぞうじ のぶちか

龍造寺 信周(なべしま なおしげ)は、戦国時代から 江戸時代初期にかけての武将。須古鍋島家初代当主。兄の龍造寺隆信と共に各地を転戦し、武功を挙げたといわれている。
天文元年(1532年)、龍造寺周家の次男として誕生。隆信の次弟だが、異母兄弟であったため、隆信と同母弟の長信より地位は低かったらしい。(wikipediaより引用)

鍋島 直茂-なべしま なおしげ

鍋島 直茂(なべしま なおしげ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将、実質的には大名。戦国大名・龍造寺隆信の家老。肥前佐賀藩の藩祖
龍造寺隆信とは義兄弟にあたり、そのため隆信を諫言することが多かったといわれる。(wikipediaより引用)

龍造寺 隆信-りゅうぞうじ たかのぶ

龍造寺 隆信(りゅうぞうじ たかのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。肥前国の戦国大名。
仏門にいた時期は中納言円月坊を称し、還俗後は初め胤信(たねのぶ)を名乗り、大内義隆から偏諱をうけて隆胤(たかたね)、次いで隆信と改めた。
「五州二島の太守」の称号を自らは好んで用いたが、肥前の熊の異名をとった。
少弐氏を下剋上で倒し、大友氏を破り、島津氏と並ぶ勢力を築き上げ、九州三強の一人として称されたが、島津・有馬氏の連合軍との戦い(沖田畷の戦い)で不覚をとり、敗死した。(wikipediaより引用)

1の体力が50%を切った頃から、お供が逃亡をしだす。

お供を削って状態を変え、お供を逃がさず倒さずに1を倒すというのがセオリーらしい。

お供を倒すと怒り心頭が来る点に注意とのこと。

怒り心頭・壱~極
4体~7体に間接物理攻撃+自身に与ダメージ上昇の特殊状態を付与。
壱で約1500のダメージ。結界などでダメージを軽減できる。
特殊状態の付いたお供が死亡または逃亡するたびに入力する。
・壱はお供が1人去ると使用。対象4体+与ダメージ1.5倍
・弐はお供が2人去ると使用。対象5体+与ダメージ2倍
・参はお供が3人去ると使用。対象6体+与ダメージ2.5倍
・極はお供が全員去ると使用。対象7体+与ダメージ3倍
闘魂術との相乗効果で極み最大の盾鍛冶でも耐えきれないほどの攻撃力になることがある。
憤怒の突進の前にお供を倒すと怒り心頭を使い、その後に憤怒の突進を使用する。
憤怒の突進
隆信に与生命ダメージ25%上昇+行動不能耐性、お供に被生命ダメージ90%低下の特殊状態を付与。お供の残り生命が50%付近になった頃に使用する。(寄合所より引用)

府内攻め、佐賀攻めと伍よりも四で苦戦する。

やはり会社にしろ国にしろナンバー2が重要なポジションなんでしょうね。

なんの話でしょうかね。

とりあえず、こんなまがい物の金太郎はサクッとやったりました。

1人逃亡されてるけどね(‘_’)


話は変わって、昨日の事。

一人九州ダンジョンでオフゲーやってたら勢力の施設会話が賑わっていたんで傍観。

何があったかって言うと、勢力の施設会話を使って新規プレイヤーの昇進試験についての説明をしてたら、恐らくログが流れるのを嫌った他プレイヤーが噛みついたって感じ。

まぁ、どのゲームでもよくある話でどっちが悪いとか、どっちが正しいとかってのは双方に言い分があるだろうし客観的に見てどっちでもいい。

ただ、ログが流れる件に関しては戦闘中だと鬱陶しいだろうけど、タブで切り替えれなかったっけ?もう昔の事なんで覚えてないけど。

だったら何が言いたいかって言うと、『みんな大人やなー』って感心したってこと。

『必要かな?』⇒『絶対必要です(キリッ)』の流れには笑ってしまったけど(笑)

バッチバチにやりあうでもなく、複数人で解決策を出し合いその場でまとめちゃうってね。

『うっとうしい』って言っちゃった人は発言後に抜けちゃってたんで、この話が行き届いてるかは分からんけど。

発言して即抜けしちゃうと捨て台詞っぽくなるから、どんな発言でもマイナスになっちゃうと思うけどね。

まぁ、信オンプレイヤーの年齢層の高さが垣間見えたひと時でした。

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