【九州三国志】島津家:府内攻め-壱~四に出陣☆

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おはこんばんにちは!うたまるGTです(´-`*)

Mist Survival動画UPしたので、良かったらご覧ください☆

昨日は、【九州三国志】《府内攻め》に行ってきました。

徒党構成は、

◆武士うたまる《武士道》

◆暗殺うたまる《暗殺忍者》

◆珍砲うたまる《鉄砲鍛冶》

◇坊主丸儲け ( 密教 )家臣

◇かぶきんぐ ( 能楽 )家臣

◇無珍げーる ( 医術 )家臣

◇もっとぶって(鎧鍛冶)家臣

※途中から鎧鍛冶を刀鍛冶に変更

◇暴力反対  (刀鍛冶)家臣

府内攻め-ふないぜめ-】

府内攻め(ふないぜめ)は、日本の戦国時代の天正14年12月13日(1586年12月13日)に 島津氏の侵攻により大友氏館などを含む府内の中心部が焼き払われる。
戸次川の大勝で勢いに乗った家久は、鏡城や小岳城を落として北上し、12月13日には大友家の府内城を落とした。
(wikipediaより引用)

府内攻めは、またまた島津義弘の先導。

ただ、今回はワープしてくるので邪魔ではなかった。

ここら辺りから楽勝ではなくなってきた。

4番目の立花道雪はちゃんとバー見ないと死ねる。

◇立花 宗茂-たちばな むねしげ

立花 宗茂(たちばな むねしげ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。大友氏の一族で、重臣。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として復帰した武将は他にもいるが、旧領を回復した武将は宗茂ただ一人である
道雪の娘・誾千代と結婚して婿養子となり、名も戸次統虎(べっき むねとら)と改め、誾千代に代わって道雪から家督を譲られたが、誾千代とは険悪な仲だった上に子に恵まれず、道雪の死後程なくして、二人は別居したという。
なお、宗茂は晩年の名乗りであり、幾度も名前を変えている。(wikipediaより引用)

高橋 紹運-たかはし じょううん

高橋 紹運(たかはし じょううん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後大友氏の家臣。吉弘鑑理の子で、立花宗茂の実父にあたる。
紹運は法名であり、初めは吉弘 鎮理(よしひろ しげまさ / しげただ)、のちに大友宗麟の命令で筑後高橋氏の名跡を継ぎ、高橋 鎮種(たかはし しげたね)と称した。
(wikipediaより引用)

途中、爆発で死ぬっていうね。。

生命1残るかと思ったけど、そんなに甘くはなかった(;・∀・)

まぁ、デジャブ感満載で笑えた(笑)

立花 誾千代-たちばな ぎんちよ

立花 誾千代(たちばな ぎんちよ)は、永禄12年8月13日(1569年9月23日) – 慶長7年10月17日(1602年11月30日))にかけての戦国時代の女性武将。立花宗茂の正室である。
大友氏の有力家臣(加判衆)であった戸次鑑連(立花道雪)の一人娘。
名前に含まれる「誾」の字は“慎み人の話を聞く”という意味合いを含めて肥前の僧侶、増吟が名付けた。(
wikipediaより引用)

◇立花 道雪-たちばな どうせつ

立花 道雪 / 戸次 鑑連(たちばな どうせつ/べっき あきつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名・大友氏の家臣。臼杵鑑速や吉弘鑑理らと共に大友家の三宿老に数えられた。
大友義鑑・大友義鎮の2代に仕えた大友家の宿将で、北九州各地を転戦し、その勇猛は諸国に知られて恐れられた。本人は立花姓を名乗っておらず、戸次鑑連または戸次道雪で通している(wikipediaより引用)

このガラガラじーさんの《雷神破陣撃》を余裕こいてスルーしたらめっちゃ痛いってゆーね。

結局《雷神破陣撃》の連チャンから立て直せずにあぼーん(/・ω・)/

二戦目は《雷神招請》後に『妖雷符』できっちりダメージ軽減させて撃破☆

鍛冶屋二人死んでるけど…(;^ω^)

昨日はここまでで終了。

今日は【大友 宗麟】行こうと思ってるけど、1/4ずつ削らないといけないとか正直面倒そう…。

まぁ、がんばるんば

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