おはこんばんにちは!うたまるGTです(´-`*)
Mist Survival動画UPしたので、良かったらご覧ください☆
昨日は、旧ダンジョンである【九州三国志】に行ってきました。
《大友家》《竜造寺家》《島津家》とある中で、今回は《島津家》で参戦。
懐かしの鹿児島城に降り立つ。
夜中の2時過ぎだからなのか、オワコンだからいつもこうなのか、ここに居るプレイヤーは僕だけ。。
『いや、俺だけに与えられたフィールドなのだろう。』
そう思うことにした。
島津 義久(しまづ よしひさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。薩摩国の守護大名・戦国大名。島津氏第16代当主。
島津氏の家督を継ぎ、薩摩・大隅・日向の三州を制圧する。その後も耳川の戦いにおいて九州最大の戦国大名であった豊後国の大友氏に大勝し、また沖田畷の戦いでは九州西部に強大な勢力を誇った肥前国の龍造寺氏を撃ち破った。 義久は優秀な3人の弟(島津義弘・歳久・家久)と共に、精強な家臣団を率いて九州統一を目指し躍進し、一時は筑前・豊後の一部を除く九州の大半を手中に収め、島津氏の最大版図を築いた。しかし、豊臣秀吉の九州征伐を受け降伏し、本領である薩摩・大隅2ヶ国と日向諸県郡を安堵される。豊臣政権・関ヶ原の戦い・徳川政権を生き抜き、隠居後も家中に強い政治力を持ち続けた。(wikipediaより引用) |
おっとこ前の島津義久に挨拶を済ませ、【耳川の合戦】に出陣。
徒党構成は、
◆武士うたまる《武士道》
◆暗殺うたまる《暗殺忍者》
◆珍砲うたまる《鉄砲鍛冶》
◇坊主丸儲け ( 密教 )家臣
◇かぶきんぐ ( 能楽 )家臣
◇無珍げーる ( 医術 )家臣
◇もっとぶって(鎧鍛冶)家臣
ここでは複数の家臣を出せて、フルパで組めるのが良いですね☆
クリックできる目次
【耳川の合戦-みみかわのかっせん-】
耳川の戦い(みみかわのたたかい)は、天正6年(1578年)、九州制覇を狙う豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が、日向高城川原(宮崎県木城町)を主戦場として激突した合戦。「高城川の戦い」、「高城川原の戦い」ともいう。(wikipediaより引用) |
島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての薩摩国の武将、大名。戦国大名の島津義久の弟で、島津氏の第17代当主(後述)。島津氏18代当主・島津忠恒(のち家久に改名)の父。後に剃髪して惟新斎[注釈 2]と号したため、惟新公()との敬称でも呼ばれた。武勇の誉れ高く「鬼島津」の異名で知られ、戦国(安土桃山)時代でも屈指の猛将として当時から有名であった。日本では「鬼島津」の名で呼ばれ親しまれている。 (wikipediaより引用) |
耳川の合戦はこの悪臭的オーラを放った島津義弘が先導してくれます。
が、
コイツが変なとこで止まったりするので、どっちが先導してんのか分かんなくなるってゆーね。。
義弘のお守りをしながら『野戦・壱』~『野戦・伍』をサクッと攻略。
◇田北 鎮周-たきた しげかね-
田北 鎮周(たきた しげかね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。 田北氏は豊後国大友氏の庶流で直入郡田北村を本貫とする。早くから本家筋の大友義鎮(宗麟)に仕え、その偏諱を賜って鎮周と名乗る。武勇に優れ、1560年代には毛利氏との戦いで、永禄11年(1568年)には立花鑑載の反乱鎮圧や、小早川隆景率いる毛利軍との戦いで武功を挙げている。(wikipediaより引用) |
◇佐伯 惟教-さえき これのり-
佐伯 惟教(さえき これのり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後佐伯氏第12代当主。豊後国海部郡栂牟礼城主。 『大友興廃記』によれば、天文19年(1550年)の二階崩れの変の際に大友義鎮(宗麟)を奉じて府内を制圧し、以来宗麟の重臣として信任されたという[2]。また『肥後国史』『大友興廃記』によれば同年、菊池義武や義武に味方する肥後国の領主との戦いで先陣を務め、鎮圧に活躍した。(wikipediaより引用) |
◇志賀 親守-しが ちかもり–
志賀 親守(しが ちかもり)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後国の大友氏の家臣。志賀親益の子。 志賀氏は大友三家の一つ。北志賀家は南郡衆の筆頭である。 天文19年(1550年)、二階崩れの変の後、大友義鎮(宗麟)の家督相続に尽力した。天文21年(1552年)に子親度に家督を譲って早々に隠居したが、実際は加判衆の一人として宗麟やその子義統の側近として活躍したという。(wikipediaより引用) |
◇田原 親賢-たわら ちかかた-
田原 親賢(たわら/たはら ちかかた)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。 武蔵今市城城主、妙見嶽城城督。大友氏の家臣。出家後の田原 紹忍(じょうにん)の名でも知られる。号は不思軒。 大友氏の家臣・奈多鑑基の子として誕生。大友宗麟の正室・奈多氏の兄にあたるため、側近として重用された。 大友氏一族・田原氏の傍系である武蔵田原家の田原親資(ちかすけ)の養子に入り、宗麟に服従しようとしなかった田原本家(田原親宏)の牽制を行う役目を担った。 (wikipediaより引用) |
◇角隈 石宗-つのくま せきそう–
角隈 石宗(つのくま せきそう)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。大友氏の家臣。 豊後国の大友義鑑・義鎮(宗麟)父子に仕え、軍配者として武田流、小笠原流等の兵法を始め、占術、気象予測に優れたことから大友氏の軍師的存在であった。 (wikipediaより引用) |
正直今の仕様はついていけないので、休止前後のコンテンツからやった方が気楽で楽しい。
ONLINEである必要の無い、完全オフゲーやけどね(;^ω^)